僕の阪神・淡路大震災 終わり。生き続けるためのボディーブロー

僕の阪神・淡路大震災 終わり。生き続けるためのボディーブロー

「それは地震前?地震の後?」
神戸の人は過去のことを話す時、地震を節目にする。
ちょうど、坂の多いここ神戸で、北の事を「上」、南の事を「下」というように。

地震後の今、みんなはなんとか生きている。
もちろん僕もこうして、生きている。

家内も息子も娘も、あの時、居なかった僕を責めたことはない。
でも、僕の心にはぽっこりと黒い穴があいている。

確かに借金やその後、ファミコンショップを閉めた辛さなどもあるが、そんなものはどうでもいい。

そうじゃなくて、僕はずっとずっと、「自分にボディーブローを喰らわしている」
『お前は家族を捨てて安全な場所に居た』と。

言い訳の神様がこう言ってくれる。
『いいや、君は動転のあまり、選択肢を見誤ったのさ』
でも、そうじゃない。


inu23

話を始めに戻そう。

阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)
平成7年(1995年)1月17日(火) 5時46分
死者     6,434人
負傷者  43,792人
全壊および半壊棟数 249,180棟
(うち、神戸市内の死者は、4,571人)


亡くなった方の多くはお年寄りそして、子供。
瓦礫の中に埋もれているそれらの人を引き出す家族。
迫ってくる火。逃げなくてはならない今。そんな有様。選択肢。

こんな時の、誤りの選択肢など、ないのは解かっている。

でも、僕の選択肢は間違っていた。

心の整理をしようと書き始めたこの記録だけれど、やはり整理はできなかった。
いや、こうやって書き終えて、「整理しちゃいけない」ことがよく解かった。

この話を、多分、家内も、そしてあれからずいぶん大きくなった息子も娘も読むだろうと思う。
「なんだ、まだそんな事で悔やんでるの」そう言われるかもしれない。
でも、僕は自分の過ちを忘れないために、心の暗い穴にボディーブローを打ち続ける。

今度、何が起こっても選択を誤らないために……。



最後に
こんな暗い話に付き合っていただいた皆様に感謝します。
ありがとうございました。

冒頭にも書いたように、神戸は、本当はまだまだ回復をしていません。
国道沿いや、繁華街だけは早々にビルが建ちましたが、
その一歩裏へ入ればまだまだ焼け野原がそのまま残っています。
「奇跡的な復興」そんなものは嘘です。

いかにも神戸らしく「見栄え」だけを強調して、マスコミが報道する「1,17」
そして、さもそれが自分の手柄のように見せる国や神戸市。
僕たちはまだまだ立ち直ってはいません。

いまだにごろごろと転がっている「死」「怪我」「借金」。
そして、決して、見えないけれど、出さないけれど、僕のように、憤りのないジレンマにさいなまれている人がどれだけいることか!
もちろんこれは神戸だけのことではなく、この地震に遭遇した全ての人。

この記録を書きながら、自分で何度も自問自答をしました。
「書いて消えるか(自分のトラウマ)」
「書いて来ないか(災害が)」
「書くことで何かあるか(参考になるのか)」

でも、途中ではたと思ったんです。

「亡くなった人はもう何も言えない、書けない」

じゃ、かろうじて今も生きている僕が語ってみよう。

取りとめのない後書きになりました。

神戸の僕たちは、明日も生きていかなくてはなりません。
応援してください。




僕の阪神・淡路大震災
(完)

「僕の阪神淡路大震災」シリーズ これまでの記事はこちらです。



ruminariekk
<「神戸ルミナリエ」。阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年12月に初めて開催され、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。(神戸ルミナリエ公式サイトより)>




ブログランキング
<最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。>


コメント

「そんな災害に遭遇したこともないやつが軽々しいこと言いやがって…」
と思われたらごめんなさい。

人生の選択が合っていたかどうかは、選択後の人生で決まるものだと思います。
なわないさんはきっと前よりも後の方が、
家族を想う気持ち、家族を守らなければという決意が強くなっていますよね。
だから、その選択は正しかったんだと思います。
だってあの震災直後に現場を歩いて帰るほど危険なことはないでしょう?
怪我をしたり命さえ落としたりしかねない状況だったと思います。

「退却」とか「待機」という戦略は男にとってはなかなか出来ない事です、
意地を張って攻めて行ってしまうから。
外部から見ているからこそ、なわないさんの「勇気ある待機」は英断だったと断言できます。
家族を信頼していないと出来ないことです。
また、家族からも信頼されていないと出来ないことです。

図々しい意見をしてすみません。
ブログランキングぐらいの応援しかできませんが、これからも頑張って下さい。

こんばんわ、始めまして。

あの震災から12年も経ったんですね...早いというか、長かったというか...。
普段、正直、震災を忘れて生活することも多くなってきましたが、やっぱり、1月17日が近づくと意識してしまいます。

私も祖母を連れて車で神戸を脱出し、奈良の叔父の家に向う途中に立ち寄った、心斎橋の普通の週末の賑わいには愕然としました。
あ~、ここは違うんやって強く感じましたね。

その祖母が「戦争中は、こんなんやってんで」って、焼け野原を見て何回も言ってました。
なんかその表情を見てると、恐怖が蘇って来たって言うのでは無く...言い方が悪いかもしれませんが...ちょっと懐かしそうに、私らは、もっと酷い惨状から復興してきたんやって言ってるようでした。

実際、両親や...もちろん私らがオロオロする中で、一番どっしりと構えて「6千人も死んだんや、生きてるだけ有り難いと思わな」って言ったのを聞いた時は、さすが明治生まれ、空襲と震災を生き残っただけあって強いわぁって思いました。

実際、少し落ち着いて片付けやら復興に動き出したときは、「こんなことしたって、また地震が来たら終わりや」って何もする気力も無かったけど、祖母を見てたら、如何に自分が弱いか思いしらされましった。
「なるようになる」
そう思ったら、急に肩の力が抜けたのを、よく覚えています。

友人を亡くしたとはいえ、身内に死者が出なかったから、こう思えたのかもしれませんが...。
確かに、12年経っても復興なんてほど遠いと思いますし、心に受けた傷なんて一生消えないのかもしれませんが...私の場合...何とか、折り合いをつけることが出来たように思います。

>「亡くなった人はもう何も言えない、書けない」
そうですね。
だから、生き残った私は、精一杯生きようと思ってます。
後悔しないために。
どうせなら、楽しんでね。


長々と失礼しました。
なんか上手く言えませんでしたが、これが地震を経験して12年経った、今の私です。
これからも、お互い頑張りましょうよ。

なわないさんの心にどれだけあの地震がもたらした傷が大きいかを知りました。
そして私もあの日を振り返って毎日の生活がどれだけ幸せであるかを知ったことを思い出します。

地震がちょくちょくあるたびに、あの日を思い出して眠れなくなる日、ぬぐえないそれぞれの心の傷はずっと残るかもしれないけれど、今日も強く頑張っている人たちがいることをたくさんの人や家族が知って、分かち合って励ましあって支えあえたらなぁと思います。

ありがとうございました

こういう話は、やはりリアルに体験された方でないと伝えられないんですよ。
いわば「天災」は避けられない、
誰の身にも起こりうることで、
その時のことをきちんと話して、
そしてまた、明日からも頑張っていく「糧」にしていけば・・
ひとはみな、ひとりでは生きていけないんですからね。

また遊びに来ますね。
いろいろお話しいただき、ありがとうございました。

八咫烏さんへ

そうですね。ありがと。
確かに、あれから僕はだいぶ変わりました。

T.A.Frayさんへ

丁寧なコメントありがとうございます。
確かに、少し遠出をすればまったくの別世界だったこの地震。
そのことも伝えたかったです。
また来て下さい。

m.m.oさんへ

こんな重たい話にコメントありがとう。
今回書いて、傷というのはきれいに治るのではなく、時々思い出して自分の失敗を思い出すものだと思いました。
また来て下さい。ありがと。

ぷぅちゃん☆さんへ

これも正直に書きますが、
いつだったか、この地震の前に、北のほうで「大津波」が来るというニュースがあって、夜中までそのテレビを見ていた僕があります。
もちろん、どんな津波か見たかったのです。
いくらたっても来ない津波に僕は「ナンだ、面白くない」とテレビを消したのをいまだに忘れません。
自分がこうやって、痛い目にあって、やっと世の中がわかる。苦労を思い知る。
人の不幸をテレビで楽しもうとしている自分。
なんてひどい奴だということは、だいぶ経って思いました。
確かに、この経験で僕は大きく変わりました。
また来て下さい。
ありがとう。

毎年テレビで流れる映像とは違うリアルさを感じました。
綺麗事では無い感情・・・

映像の中で話していらっしゃる被災者の人達も本音の部分は出せないのではと思いました。

私たちが画面で見せられる映像、遊びに行く場所だけを見て復興したと思っていますが、他の災害地でもそうなのでしょうね。
悲しいですね。
私は何も出来ませんが、そう言う現状を知る事が大事だと思っています。

辛い経験を書いて下さってありがとうございました。

まっちゃんさんへ

本当に僕の個人的なだけの話です。
だから、本来はこんなところに載せるべきではないのではと思って書いていきました。
ブログって、重さを載せてはいけないかなあと。
でも、書いてみました。
伝わり方は人それぞれなのだろうと思います。
ただ、言われるように「マイクを向けられてわだかまりは吐き出せない」し、その映像は多分没になっていると思うのです。
そういう意味では、まっちゃんの言われるように少しは生の声を訴えられたかなと思いました。
ありがと。

僕も大阪なので、記憶に残る悲劇。
だがしかし、やはり時と共に風化してゆく思いと、消えぬ傷と。

。。。だけど、僕は寝ていました。

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ロッシュさんへ

明日はロッシュさんの主催の顔晒し日。
寝ないで下さい。

こんばんは。

はじめましてまりもと申します

訪問履歴から来ました
私のブログに訪問していただきありがとうございます

阪神・淡路大震災が起きた時、私はまだ高校生でした
そしてテレビを通してその事を知ったのですが地震によって無残に破壊された街と亡くなられた方々の名前のテロップが延々と続いていたことを覚えてます
同じ日本で起きてる事かと衝撃を受けました

今、私が住んでいるところは静岡県です
大規模な地震が高い確率で起こると予想されてます

12年前の出来事をきっかけに危険管理の意識は非常に高まったと生活していて感じます

尊い犠牲の中から生まれてきた我々の生活の安心は本当に感謝しなくてはいけないと思いました

私の主観でコメント書いてしまったので失礼な所ありましたらお許しください

ではこれにて

いやいや、でもちゃんと伝えていけるってのはすごいことですよ、はい。
もうすでに、けっこう忘れちゃったりしてる人も多いと、正直思うので・・絶対に意義があったのだと思うっす、はい

まりもさんへ

>同じ日本
そうなんです。神戸から少し車で走ればまったく違う世界。本当に唖然としたのを覚えています。
また来て下さい。
ありがとう。

ハラキリさんへ

謹んで正直なお言葉頂戴します。
ありがと。

はよ 晒して~な

阪神淡路大震災の記事を、ありがとうございましたm(__)m

これは 必ず誰かが 書き残さなくてはならないことや、と思います。

かめさんへ

すごく考えましたが、やっぱり書きました。
そうそう、さっき晒しましたよ。

遅くなりました

コメント残してくださってありがとうございました。そしてレスするのが大変遅くなってしまって申し訳ありませんでした。

なわないさんの記事を読んでいて、実にリアルに実際に震災に遭われた方の経験を知ることが出来ました。綺麗になったのはまだ「表」だけなのでは…という想像も以前からしていましたがそのことについても確信を得ることができました。
少々驚いたのは、神戸・関西近辺全土が震災に震えていたわけではないの?ということです。私は郵便局という仕事上、毎日のように関連ニュースに目を通し、デスクの上は震災関連事項で溢れ、連絡ボードには次々と新たな情報が貼り出されていたので「関西に震災の匂いがない場所があったなんて」と少々吃驚です。特に御親類の方の電話の切羽詰った声を聴き続けながら仕事をしていたので余計にそう感じています。

さて、当時友人が大阪の会社に勤めていましたが、やはり神戸から歩いて大阪の会社まで来た人が何人もいたそうです。それは友人の安否を確かめた時に聞いた話で、彼らがどういう気持ちで家族を置いて会社へ来たのか、私に知る術はありません。ただ、なわないさんがどのような形であれ、当時の自分をしっかりと正面から見つめ直していることは決して悪いことではないと思います。

当事者でもない私が言える立場ではないかもしれませんが、いつか来るといわれている東海大地震に震えている者としては人事とは思えませんでした。
まだ終わってない。でも、
-まだ負けてない-
そう希望を持って欲しい。今はただ祈るばかりです。長々と失礼しました。

災害の爪痕

読みました。
わたしは、四国に当時いたので母と2人で地震の後テレビをずっとみていました。死者数のカウンターがテレビの横にずっとあるのを、今でも覚えています。
学校へ神戸から家族を亡くした子が転校して来て、私たちはかろうじて現実を遠くから忘れずにみていたと思います。
そして、叔父が神戸で警察官をしていて、無事だったのですがいつ話しても震えながら話すのをみていました。
なわないさんの震源から少し離れた話。家族への思い。
深くひびきました。
自分への戒めを背負いながら何人の方が震災後影を背負いながら笑って暮らしているんだろうと途方もない気持ちです。
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Author:なわない 【おとなの絵本】

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