僕の阪神・淡路大震災 五、不安 

僕の阪神・淡路大震災 五、不安

駅に急いだ。
案の定、まったく電車は動いてはいない。タクシーもだめだ。
家まで歩くか……。
それとも自分の店に戻ってみるか……。
自分の店(ファミコンショップ)が気になった。
サラリーマンをやめ、初めて自営業をして、まだ、3ヶ月目だった。
店が潰れていたらどうしよう……。
まず、自分の店に2時間かけて歩いて戻った。
繁華街から西に歩くにつれ、被害はそれほどでもなかった。
僕の店は、ガラスが少し壊れていたぐらいで、ほぼ無傷だった。
店に入って、それから、ずっと家へ電話をかけ続けた。

初めて、家内の声を聞けたのは昼もだいぶ過ぎた頃だった。
「一応無事です。近くの公園に非難をしています。今ちょうど、毛布を取りに家に帰ってきました」
そして、すぐに悲鳴。
「大きな余震が来たのでここ(家)から逃げます」と。

それからは親戚中に電話をかけまくった。
僕の実家はJR三宮駅から一駅の「灘」というところにあって、そこで共同で小さなマンションを経営していた。
一階は僕の両親が営むパン屋。二階がその住居。六階には母の姉一家が住んでいる。
両親の電話が繋がらない。六階のいとこにかけた。

繋がった、が、それは悲惨な繋がり方だった。
「みゆきー。刺さったガラスを抜け。うわあー、また揺れた」
電話がどこかに吹っ飛んでいるらしい。そして回線がおかしくなって、そのまま通話状態になっているようだ。いとこの家の修羅場が受話器から実況中継されている。どうやら、みゆきちゃん(娘)の足にガラスの破片が刺さっているようだ。

「僕の阪神淡路大震災」シリーズ これまでの記事はこちらです。



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<公衆電話の方が繋がりやすいという噂が流れて長時間並んだ。でもほとんど繋がらなかった>

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僕の阪神・淡路大震災 四、何もわからない 

僕の阪神・淡路大震災 四、何もわからない

コンビニどころか、周りを見ると、向いの中華料理屋が斜めをむいている。
民家もへしゃげている。
でも、なにが起こったか、僕にはまだわからない。
わかったのは、余震だ。
でかい奴が来た。あちこちで悲鳴が起こった。
立っていられなかった。
がくがくと周りのビルが揺れ、ガラスが落ちてくる。
救急車のサイレンがあちこちで鳴っている。
えらいことになった。
僕は地震の真っ只中にいる。そう思った。

神戸はどうだろう。家族は大丈夫だろうか?
何度も揺れる。
公衆電話があった。長い行列だ。これは無理だ。
あちこちから轟音が響く。
ホテルに帰った。フロントマンを見つけた。しかし、彼の言っていることはまったくわからない。怒鳴りあいになった。

部屋から家に電話をかけ続けた。(この頃は携帯がなかった)
でない、でない。
テレビ、ああ、そうだ。テレビだ。
しかし、どのチャンネルも映らない。
どうなってるんだ。
何度も部屋とフロントを往復していると、他の部屋から大声が響いた。
部屋に帰ると、テレビがついていた。
そこに映っていたのは、僕の家の近くの三宮のNHK。
毛布に包まれた女性がアップで映っている。
そして、あの、NHKのビルが、ない。ぺたんこになっている。

ここで始めて解かった。

ここが中心ではなく、自分の家の神戸が、もっとひどいということを……。

これまでの「僕の阪神淡路大震災」シリーズはこちら

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<三宮北側の生田神社・門だけ残っている>

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僕の阪神・淡路大震災 三、1月17日(火)当日 

僕の阪神・淡路大震災 三、1月17日(火)当日

その日、僕は神戸の隣の市(明石市)のホテルにいた。
その頃、僕はその街でファミコンショップを経営していた。
ちょうど、棚卸(たなおろし)の日で、アルバイト君たちと夜中まで在庫整理をして、終電に間に合わず初めて駅前のホテルに泊まった。

朝、5時46分
すごい衝撃だった。
爆音と同時に、ベッドから10センチは体が浮いたと思う。
何が起こったのか解からなかった。
ぼやけた頭で、多分、大きなトラックが事故で突っ込んできたのだろうと思った。
ベッドから出ると異様に寒かった。
そうだそうだ、暖たたまろう。
昨日、埃まみれのまま眠ってしまったので、風呂に入ろうと思った。
と、バスルームに行ってみると、風呂がゆがんでいた。
お湯を出そうとしても、何も出ない。
えらいホテルに泊まったと思った。
フロントに電話をした。
出ない。
寒い。
テレビをつけた。
つかない。
とりあえず服を着て、外に出た。

なんと、一階のコンビニのでかいガラスがきれいに壊れていた。
そして、コンビニ中が荒らされていた。
食料品が消えている。

「僕の阪神淡路大震災」シリーズ

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<僕が結婚式をあげた「中山手カトリック教会」。記念の場所がなくなったのは辛い>

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僕の阪神・淡路大震災 二、12ラウンド年 

僕の阪神・淡路大震災 二、12ラウンド年

まさに僕たちにとって、あの地震は強烈なストレートパンチだった。
もちろん、ノックアウトされずに起き上がれた人々も多くいた。
ところがだ、起き上がってみたものの、見えない敵が、これでもかこれでもかとボディーブローを放ってくる。
それも12年もの長い間、そいつはボディーを打ち続ける。

見えない敵とは「借金」だ。

神戸市の世帯数 643,100
そのうち
249,000棟が地震によって全壊か半壊の被害を受けた。
つまり、世帯の半数近くが、住んでいた家がなくなったり、大掛かりな修理が必要となったのだ。
家とは一生の買い物だ。その家が住めなくなる。
土地はあっても建物が木っ端微塵では、もう一度立て直しだ。
そこまでいかなくとも、マンションでもアパートでも、なんらかの修理費がいる。
だれがそんなことを考えて生活設計をしているか!

そう、二重ローン。
多くの世帯が借金をしている貧乏な都市、神戸。
もちろん、大企業の支店や営業所は早々に撤退をしていった。
悪循環の繰り返し。
働き場所がない。
金が動かない。

ボクシングは長くても15ラウンドだ。
そして、打たれ続けて眠ってしまってもいい。
でも、僕らは生きていかなければならない。
これから何ラウンドも打たれ続ける。

よく、「神戸はきれいな街ですね」といわれる。
僕はいつも、こう答える。
「ええ、建て直したからですよ」と……。

「僕の阪神淡路大震災」シリーズ

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<今はすっかりきれいになった、三宮の交通センタービル>

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僕の阪神・淡路大震災 一、序章 

僕の阪神・淡路大震災 
一、序章


今から、12年前のもうすぐ、僕の住む神戸は、すさまじい大震災に見舞われた。

今まで、何度かこの忌まわしい出来事を記録にしようと試みた。
だけれど、まだまだ残る自分のトラウマや、亡くなった方の事を思うと、どうしてもパソコンの前に向かっても指が動かなかった。
(現に、うちの妻などは、毎年この頃テレビで取り上げられる特集は見たくない、いや、見れないとスイッチを消してしまう)

でも、今年、初めて、自分の体験と気持ちを書いてみようと思った。

きっかけはタクシーの運転手さんの一言だ。
「ああ、地震前はねえ、大手の企業の課長だったんですよ。みんな終わった。私も終わった。終わってないのは家のローンだけ。あの時はね、ボクシングで言うと、ストレートパンチを喰らった感じやったんです。ほんで、頑張ったろうと思た。いいや、負けたらあかんと立ち上がった。しゃーけど、次ぎに押し寄せてきたのは顔面ストレートパンチやありまへん。ボディーブローですわ」

「ボディーブローか……」

実は、これとほぼ同じ話を震災後、1年ぐらい経って、タクシーの運転手さんに聞いた。
その話を、また今日も別のタクシーの運転手さんに聞いた。

10年以上経った今でも、僕たちはボディーブローを打たれ続けている。

「地震前は、私もええ生活してましてん」とその運転手さん。

今更、書いてどうにもならないかもしれないけれど、立ち直れていない僕らのことを少しでもわかってもらえたらと思った。

書いてみよう。

そして、本当は書きたい理由はもう一つある。

あの地震から、自分に打ち続けている重いパンチ。

もう、いい加減に整理したいんだ。


阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)
平成7年(1995年)1月17日(火) 5時46分
マグニチュード7.3
兵庫県淡路島北部
北緯 34度36分
東経 135度02分

死者     6,434人
負傷者  43,792人
全壊および半壊棟数 249,180棟
(うち、神戸市内の死者は、4,571人)


→「僕の阪神淡路大震災」シリーズ


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<自宅近くの旧三菱銀行・見たとき、振るえが止まらなくなった>


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